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総文福祉常任委員会「7月の活動」

印刷ページ表示 更新日:2015年7月21日更新

総文福祉常任委員会県外視察(7月16日~17日)

長野県安曇野市

期日:7月16日
場所:長野県安曇野市(NPO法人「JAあづみ くらしの助け合いネットワーク あんしん」)(以下、「あんしん」とする)
JA婦人部の有志が、社協や福祉施設ではできないような細やかな活動を行うことを目的としてNPO法人「あんしん」を立上げました。
●「あんしん」がめざすもの
 「たった一度の人生を住みなれた土地、住みなれた家で、安心していきいきと暮らし続けることのできる里づくり」がスローガンで、困った時はお互い様、元気な時は協力して心と体を支えあう温もりのあるまちづくりをめざしている。
●具体的な活動
 会員制の介護、家事などの有償在宅サービス、ご用聞き車「あんしん号」(食品販売車)や買い物、病院への移送サービス、「学校給食に食材を提供する会」など高齢者の共助に関する活動が多数ある。

視察を終えて
 どこの市町村でも高齢化が進み、福祉施設や社協などの支援活動も手いっぱいになってくることが予測されます。「行政などが何かをしてくれる、生活は誰か助けてくれる。」という考えではなく、共同共助の社会づくりが必要と感じました。60~70才以上の女性グループの元気パワーに圧倒されました。津南町でも同様なことがいえると思います。集落内や隣組同士の助け合いのしくみづくりが必要で今後進めていかなければいけない課題です。(担当:風巻光明)

※写真は、説明をしてくださったNPO法人「あんしん」の女性方。
説明をしてくださったNPO法人あんしんの女性方の写真。

長野県佐久市

期日:7月16日
場所:長野県佐久市(岩村田商店街)
岩村田は中山道宿場町として栄えた街。長野オリンピックの開催に伴い高速道路や新幹線のインフラ整備が進み大型店が相次いで進出、商店街は危機的状態となりましたが、「商店街振興組合」を発足、大型店も巻込み、みごとにまちを活性化させました。今では全国のモデル的商店街となっています。
                       
●「日本一」イベントを毎年実施
 日本一元気な商店街を目指して「日本一」イベントを実施。日本一長い草餅(長さ200m)、ロールケーキ(長さ205m)などメディアを通して商店街をアピール。

●地域密着型商店街をつくる
 地域のみんなと「ともに暮らす、働く、生きる」商店街の構築。空き店舗対策としてコミュニティスペース「おいでなん処」を開設。商人、住民の垣根を取り払い、誰でもいつでもお茶を飲みながら交流する場として活用。また、同じく空き店舗対策として、「子育てお助け村」、「寺小屋塾」等を開設。

※写真は、「おいでなん処」。気軽に集まれるスペースになっており、奥にはバーもある。
おいでなん処の写真。テーブルとイスが多数あり、気軽に集まれるスペースになっている。奥にはバーもある。
※写真は、「子育てお助け村」。「子育てサロン」(無料)、「短時間託児」(学童保育的)、「子育て相談」の3事業を実施。
子育てお助け村の入口の写真。子育てサロン(無料)、短時間託児(学童保育的)、子育て相談の3事業を実施。
※写真は、「寺小屋塾」の中の様子。全国初の商店街直営の学習塾で商店街が子どもを育てる。
寺小屋塾の中を映した写真。ゆったりとした学習スペース。全国初の商店街直営の学習塾で商店街が子どもを育てる。
●人材育成の拠点「起業家育成塾」開設
 商店街の若手後継者と若手事業継承者の育成を金銭的な面も含め事業が実現するまで支援する。

●市民カードとして電子マネーを導入(佐久っ子WAONカード)
 イオンと提携し共存共栄のためポイント共通カード導入(システム構築費用はイオンが支援)。このカードは、診察券、会員証、図書貸出カードなど多機能なもので、のちに市民カードへ発展。

視察を終えて
 岩村田商店街の取組は、今までの商店の在り方を全く新しい発想により変えていくものでした。紹介した取組はまだ一部で、ほかにも様々なチャレンジをしています。商店街のすぐ近くに大手コンビニ店もあり、そういった店がマネのできないような取組がめじろ押しで、地域と住民に密着した活動がいかに大切かという事を痛感いたしました。津南町でもコンビニの進出など耳にしていますが、お互いに特徴などを生かし連携して共存していけるようがんばっていきたいものです。(担当:風巻光明)

長野県下諏訪町

期日:7月17日
場所:長野県下諏訪町(御田町商店街)
 諏訪といえば諏訪神社や御柱、古くはシルク産業が盛んで、その後、精密機器・電子機器の製造(セイコー・エプソン)で多くのサラリーマンが行き交うまちとして発展してきました。しかし、経済の低迷、大型店の影響、後継者不足によりシャッターを下ろす店や空き家が多くなり、商店街の危機がせまっていました。そこで「地元に後継者がいなければ他所から呼び込もう」と発想を変え成功。今ではシャッター通りはなくなり、若者が多く住むまちとなりました。「『よそもの』『若者』『バカもの』でなければまちは良くならない」と都市部からの若者を積極的に受け入れています。また、若者は地元の人と親戚のように一緒にごはんを食べるなどして、早く地元に馴染むように努力していました。

●どうせ売るなら自分で作って売る
 都会からの若者を受け入れ、「匠の町」として知られるように特殊なものを製作販売している。例えばバイオリンやチェロの木材を使ったスピーカーや、洋服や食堂などいろいろあり、見るだけでも楽しい。全30店舗のうち半分程度が空き店舗を利用した工房である。

※写真は、手づくりのスピーカーを販売している店舗の様子(部屋の奥に工場がある)。
手づくりのスピーカーを販売している店舗の写真。部屋の奥に工場がある。
●販売店舗はできるだけコンパクトに
 一つの空き店舗に五つくらいの店が入っており、製作から販売まで行っていて経費がかからず効率的である。

●若者が入ると発想が変わる
 廃業した旅館を自分たちの手で改造して居間にはバーをつくり、夜になると若者が集まってくる。宿泊3,000円。ここからいろいろな発想も生まれる。

※写真は、古い旅館を改造したバーの様子。
古い旅館を改造したバーの写真。
視察を終えて
 来てもらった人には親切にしており、まち全体が一つの家族のような雰囲気がありました。津南町も後継者がいない業種も多いわけですが、都会から若者を呼んで引き継いでもらえたら、また違ったまちづくりができるのではと感銘しました。今の若者は、もうけより人に喜んでもらえる仕事に生きがいを感じているようです。(担当:風巻光明)

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